宝石の街、山梨・甲府。
かつて金峰山一帯から産出された
水晶が時を紡ぎ、
技術や新しい価値の創造と共に、
美を放ちつづける。
![第三号透明水晶晶属](images/p2_ph-01.png)
![第三号透明水晶晶属](images/p2_ph-02.png)
![第三号透明水晶晶属](images/p2_ph-03.png)
![第三号透明水晶晶属](images/p2_ph-04.png)
第三号透明水晶晶族 産地:乙女 百瀬康吉コレクション 所蔵:山梨大学
![第二号草入り大晶族](images/p2_ph-05.png)
![第二号草入り大晶族](images/p2_ph-06.png)
![第二号草入り大晶族](images/p2_ph-07.png)
![第二号草入り大晶族](images/p2_ph-08.png)
第二号草入り大晶族 産地:竹森 百瀬康吉コレクション 所蔵:山梨大学
今もなお、日本有数のジュエリー産地である山梨・甲府。その歴史は江戸時代にまで遡ることができます。当時、良質な水晶が金峰山一帯を中心とする地域から産出されたことをきっかけに、甲府では水晶研磨技術が発展を遂げることになります。
江戸末期には、甲州かんざしやキセルなどを作る錺(かざり)職人が存在していましたが、明治になると廃刀令の発布により、刀の鞘や柄の装飾を手がけていた職人たちも、徐々に貴金属工芸へと移行するようになりました。
その後、明治中期における装身具生産の過程において、これら水晶工芸と貴金属工芸の産業が結びつくことに。以降、水晶製のブローチやカフスボタン、水晶のメガネレンズなど、生活に密着した宝飾類の多くが、甲府で生産されていくことになります。
第二次世界大戦中、甲府市一帯が空襲を受け、研磨宝飾産業も壊滅的な被害を被りましたが、戦後に進駐軍の兵士たちが首飾りやイヤリング、指輪、水晶細工などを土産品として大量に購入したことなどにより復活。昭和30年代には、真鍮、模造金、銀などの素材に、半貴石、合成宝石、ガラス飾石をあしらった身辺装飾品を中心に、宝飾品が量産されるようになりました。
![map](images/p2_ph-09.png)
![上質な水晶](images/p2_ph-10.png)
![上質な水晶](images/p2_ph-11.png)
![水晶のアクセサリー](images/p2_ph-12.png)
「人々とともにあるジュエリー」を基本テーマに、地場産業としての山梨の宝飾品加工生産の歴史、受け継がれるべき文化、そして卓越した技術と生み出される「山梨ジュエリー」の素晴らしさの発信を目的とした施設。宝飾の技術や教育につなげる役割も担っており、歴史を学び、そして未来の山梨県の宝飾産業の創造につながるよう、子供から大人までを対象に宝飾品をメインとする幅広い作品を展示している。
![山梨ジュエリーミュージアム館内](images/p2_ph-13.png)
![山梨ジュエリーミュージアム館内](images/p2_ph-14.png)
![山梨ジュエリーミュージアム館内](images/p2_ph-15.png)
![山梨ジュエリーミュージアム館内](images/p2_ph-16.png)
![山梨ジュエリーミュージアム館内](images/p2_ph-17.png)
![山梨ジュエリーミュージアム館内](images/p2_ph-18.png)
![山梨ジュエリーミュージアム館内](images/p2_ph-19.png)
![水晶とメノウ](images/p2_ph-20.png)
![山梨ジュエリーミュージアム](images/p2_ph-21.png)
山梨ジュエリーミュージアム
Yamanashi Jewelry Museum
〒400-0031 甲府市丸の内1-6-1
山梨県防災新館1階やまなしプラザ内
電話番号:055-223-1570
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